2024年12月27日

「カシマ=鹿島」の語元


「カシマ=鹿島」とは、現在の有明海北西部に辿り着いた人達の中で或る部族が居住地と定めた地域に対し、我が国最初の地名として命名された呼称(カΒ・3+シΣ・.171+マΕ・15=ヤマト式カバラ数価189)である。つまりそれは、それ以前に於ける天地創造主エロヒム数価86、及び、ヤマト(日本)方式のカバラ数価(俵積み算)を用いて造語されたヤマト式の天使「空這う児」(3歳/稚児の天使)の呼称【アマカツ】(天勝/三星堆遺跡の西王母の頭に頂く文字呼称・数価85)の数価85を合計したヤマト式「アスズコヨミ=天鈴暦」(1年循環法則日数360)の日数を抽出する為の呼称であった。、残りの 5日は、神殿を清める為の閏5日(イカスリ=坐摩の語元/大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺に在る神社名)として設定された。 従って、極東列島は「日ノ本=ヤマト」と命名されたのである。  

【香取神宮】(千葉県香取市/下総国一宮)の「カトリ」の語元は、カシマ(鹿島)の頭文字「カ」を取って「カ取」(香取)と命名されました。そしてその地は「ツクモ」(世界最初の日の出の地域に着く意/ツクバ山や九十九里浜の語元)とも呼ばれました。その意味する処は「世界最初の日の出」(ヤマト=日本の語元)の地を意味します。

つまり、紀元前133年にアジアの始点地として、それは古代ローマ側から見てペルガモン王国より東に対し行政上のアジアと呼ぶ地名呼称が誕生した事に起因します。それで紀元前133年以降、 Pergamon(ペルガモン)王国の1部の人達を取り込んだ【クムラン・秘儀宗団】(1947年に発見された死海文書を隠し残し紀元前31年以降に突然姿を消した宗団)トップグループの人達が極東方面に向け移動し、辿り着いた極東列島(後に言う日本列島)の中でも最極島(現在の千葉県付近)の、更に、最初の朝日が昇る地域付近に対し「ツクモ」(着く・モ=A)と命名されました。その意味する処は、世界最初の日時の始点地であると共に、普遍的に日時が繰り返し始まる事を意味します。尚、その語元ルーツは古代ローマの行政上の呼称アジアが誕生した事を知っている人達が移動してきた事を物語る。そのペルガモン地では柑橘類、つまり聖書呼称「エトログ」(シトロン)が栽培されていて、その種を植えた事から香具山と呼ばれた。そして尚、非時香菓(トキジクノカグノコノミ/時軸の香具の木の実)とも呼ばれました。そしてその地一体は、フツヌシ(経津主命)が統治していた事により「香取神宮」の祭神として祭られました。

「香取」の語元は、肥前(現在の佐賀県/ヒゼンは日の前の意)の「カシマ」の「カ」(日時のカ=日)を取り、「カトリ=香取」と命名。因みに、肥前のタケカシマ(健借間命)は『常陸風土記』に因ると、東北(千葉や茨城付近/ホツマ国とも呼ばれていた地域)の「クズ=国栖」(荒ぶる人達)を誘き出す必要から、七日七夜の間も肥前の【杵島曲】(キシマブリ/宴会)を用い国栖達を誘き出し、常陸国(日立の意/夜の寝床から目を覚ました日が立ち上がる意)を平らげたとされている。従って、常陸には「鹿島神宮」が建立されました。


  


Posted by 小島 宏 at 02:19 | Comments(0) | 「カシマ」=鹿島」の語元