2024年03月14日
「日本国家・創建年」は【荒神谷遺跡】(銅剣358本出土)に関連する!

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【追記】~★日本人の聖書として書かれた『秀真伝』(逸書「日本紀」⇨現存『日本書紀』の底本)!!
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現存『日本書紀』巻頭文の日本開闢物語(劈頭=ヘキトウ聖句の漢字130字文言)は、『旧約聖書』創世記の劈頭聖句(モーセ五書・創世記の劈頭文言)の焼き直し版である。その証拠は「ミコト」の語元(創世記のアッカド語BRASIT⇨ベラシト秘儀数価3910⇨ミコト・命=尊)です。つまり早い話が、日本語訳としての秀眞伝(ホツマツタヱ)の姉妹書とされる三笠文(ミカサフミ)、その「タカマ成るアヤ」(6章)の文面の編集文言と考えられます。
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ミコトの語元ルーツは、旧約聖書の創世記(BRASIT=ベラシトとは始めに~の意)のアッカド語BRASIT数価3910(ミコト・命・尊)であり、それを倭語(ヤマト言葉)に変換するに当たっては「ミコ39×ト10=390」として、それはユダヤ民族の罪咎に対する悔い改め期間年数(エゼキエル書4・4~5)である。その証拠と成るのが加茂岩倉遺跡(島根県※雲南市)出土の「銅鐸39個」。又、その近くの荒神谷遺跡(島根県出雲市)出土の「銅剣358本」です。つまり、その数価「39」と「358」が意味する処は、創世記49・9~10に記す~「イェバ・シロー文言フレーズ数価358」(メシアが来るであろうの意)と言う最初の預言であり、又、「39」は、ヤマト国家の創建に関連します~
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その銅鐸39個と銅剣358本が埋められた事を記す文言がホツマツタヱ(ホツマ34章・60年条)に記載されています。因みに、その始まりは~孝霊天皇から賜った「玉川・カン宝フミ」(武田の祖タケトメ=ハラオ君瓊瓊杵尊の子でホノアカリ。その長男で梅ヒト(三男が山幸彦ホホデミ尊)の長男ニギハヤヒ国照の弟タケヒテルが出雲の国に納めた文書に関連する(ホツマ32章参照の事)。
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★五七調歌~「八雲立つ、出雲健(タケル)が、ハケル(佩ける)太刀、ツヅラ(葛籠)サワ(沢山)巻き、憐れサヒ(眞刀)無し」(ホツマ34章60年条)。
★「タマモ(魂も)シツ(鎮)、出雲マツラハ、マクサマシ、カヨ代オシフリ、ネミカガミ(寝身・鏡/景初三年銘入・三角縁神獣鏡)、ミソコ(39)宝の、ミカラヌシ(身空主)、谷身括り身(荒神谷遺跡出土の銅剣358本は括られていた/島根県出雲市斐川町神庭から出土)、タマシツカ(魂静か)、ウマシ御カミは、ミカラヌシ(身空主)ヤモ」。
※卑弥呼の鏡とされる【三角縁神獣鏡】(景初三年銘入鏡)も、銅鐸が一括して39個出土した島根県雲南市「神原神社古墳」から出土している。
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因みに現存『日本書紀』の崇神天皇60年条の漢字訳は、意味が通っていません(チンプンカンプン)~
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「ミソコ(39)宝」の数価【39】の出自は、古典期ギリシア27文字配列順数価を用いた「ミK11+ソΔ4+コΧ24=39」文言数価である。つまり、それを創世記のアッカド語(アラム語は紀元前アッシリア&新バビロニア王国の公用語)による文言BRASIT(ベラシト)の秘儀数価「3910」(ミコトの語元ルーツ)に関連付けるを以って、エゼキエルが定めた罪咎に対する悔い改め期間年数価390」(エゼキエル書4・4~5)を示唆すると共に、ミコト(39×10=390)の語元と定義し、設定しました。
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その解読に至ったのは、1948年4月12日付ロンドンタイムス紙の二十世紀最大の考古学的発見(羊皮紙巻物=死海文書)と言うニュースによって、それ迄は歴史の闇に閉ざされていたクムラン秘儀教義宗団(ダマスコ契約宗団はエゼキエルが定めた悔い改め390年を全うした宗団であった)の存在が初めてあかるみと成った事に起因します。つまり、クムラン集会所遺跡の発掘調査率いたフランスの考古学者でカトリック教会の神父でもあるロラン・ドゥ・ヴォー氏によると、紀元前31年にクムラン地域をも襲った大地震で集会所も破壊された。そしてそれ以後、その秘儀教義宗団の行方は不明とされています~【追記】以上~
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【ヤマト言葉】(国語)の始まりは、伊万里の語元数価358に起因する。そしてその秘儀数価【358】は、「日本国家・創建年」に関連する【荒神谷遺跡】から出土した「銅剣358本」にも関連する!
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今日は「2024年2月11日・建国記念日」。その 神武天皇の即位元年を紀元前「660年」とするのは間違っています。つまり、国家としての実質的成立年は「幻の西暦351年」に当る崇神天皇12年条(日本書紀)に記すミコトノリ(詔)。即ち~「肇(ハツ)国知らすミマキ(崇神天皇)の代」と発せられた文言に起因します。
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その詔の年を以って新たにヤマトの歴年史は再設定されました。その再設定方式は、【太神宮諸雑事記第一】に記す雄略天皇21年(AD477年=伊勢皇大神宮建立年)から484年過去に遡った紀元前7年の時と記すが、その原点は崇神天皇12年(AD351年)から過去に伊万里の語元数価年「358」(創世記49・9~10・メシア=シロが来る意の文言数価/ゐ.T190+ま.E15+り.R153=358)遡った紀元前7の時として設定された「長髄彦討伐6年戦争」(神武東征はハルマゲドンの模倣戦)完了後に当たる「幻の西暦1年目・辛酉」(ヘロデ王の第7年=ユダヤ大地震発生年から31年目)が、本当の日本の建国元年に当ります。
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因みに、その「660」と言うのは、苦戦を強いられ八尾の竹淵(タコチ)地域にタケヒト(神武の幼名)皇軍が陣を退き(八尾市史・竹淵神社縁起参照)、作戦を変更した紀元前3年から「660年後」(垂仁天皇26=紀・在位通歴657年)に、伊勢神宮が建立されたとする数価年に当ります!!
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