2023年10月19日

【日本】(日ノ本)の語元に付いて~

『肥前風土記』(元明・女性天皇が和銅6年=713年に諸国に命じ作製させた)の逸文に、「日本国家創建史」(AD1世紀~4世紀頃)に関連する記述があります。それは【杵島唱曲】(きしまぶり/おこ歌=笑い歌・歌垣)です~つまり常陸風土記に因ると、タケカシマ(健借間命)は七日間もの間、【杵島唱曲】で国栖(クズ=賊)達を誘き出し、平らげたと記す(伊移之郷/イタクノサトの語元)。  

★古老曰く崇神天皇の御代(前文略)~そこには、夜尺斯(やさかし)・夜筑斯(やつくし)という二人を首領とする賊たちが穴を掘り要塞を造って住んでいました。彼らは命の軍隊が来ても降伏せず、手向かいました。建借間命が軍勢を差し向けると、賊は逃げ帰って要塞を閉ざしてかたくなに抵抗しました。
そこで建借間命は賊たちをおびき出すために、策略を思いめぐらしました。まず勇猛果敢な兵士を選び出し、これを山の隅に隠れさせ、兵器を作って備えつけました。それから海岸に船や筏を組んで、雲のような大傘を張り広げ、虹のような旗をなびかせました。そして天の鳥琴と天の鳥笛を美しく鳴らして肥前の国(現在の佐賀県・長崎県)に伝わる杵島曲を、七日七夜も奏で歌い舞ったのです。

そのうち、賊たちは賑やかな音楽にひかれて要塞から皆出てきて、浜辺いっぱいに浮かれだしました。その時建借間命は、騎兵に命じて要塞を閉ざさせて退路を断ち、後ろから襲撃して、ことごとく賊の仲間を捕らえ、同時に焼き殺してしまいました。(後文略)とあります~


★極東列島(日本列島)の最極東(【世界最初の日の出の地域】)に位置す東北南部がヤマト国に組み込まれたのは崇神天皇時代(AD340~405年迄/成務~仁徳迄に2年の空位在り)からです。 つまり、東北の鹿島氏族のルーツは佐賀(肥前国)の「鹿島氏」がルーツでした。

【日ノ本】(JAPAN)の語元は、共和政ローマ時代の紀元前133年に、Pergamon王国がローマに遺贈された事に始まります。つまり、紀元前133年にPergamon(現在のトルコ西域)の国王が死去し共和政ローマ国に遺贈(属州)された事により、初めてアジアの名Asu(東の意)に地名接尾辞にラテン語iaを付しアシアの語元に繋がる行政上の地名が登場した事に起因する。従って、その年以降、最極東に位置する地域が世界最初の「日の出」地域(現在の日本国)と定義する事が出来るようになりました。その歴史的経緯を知っている人達(Qumran秘儀教義宗団トップグループの人達)が、クムラン大地震発生年(紀元前31年)後、エゼキエルの預言(エゼキエル書43・2)に従って極東に移動し、我が【日本国】を創建しました~



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Posted by 小島 宏 at 06:31 | Comments(0) | 日本建国史
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