2023年10月01日

日本語(ヤマト言葉)の起元を解明しました!!

私が死ぬ迄には【日本語の始り】を解明したいと子供(昭和25年の3歳の夏)の時からずーっと思っていました。

本格的な我が研究に着手(昭和61年=1986年8月22日/金曜)してから、奇しくも【31年目】(カミ=AL数値31)を経た「平成29年=2017年6月」に、ヤット【日本語のル-ツ】を特定する事に成功しました。それは30歳(昭和52年)の時に彼女とby Chance(バイチャンス)的に出会った事に起因します。

因みに、そのルーツは旧約聖書の預言書(黙示書)とされるダニエル書に記す「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」(Mene,Mene,Tekel,U,pharsin/ダニエル書5・24~25)文言です。その文言文字の数秘術(ゲマトリア)数価【1191】が、我が日本語の基本【助詞・テニオハ】と、その言語(ヤマト言葉)を司る【天御中主】の語元数価でした。そして此の発見に行き着いた事をハッキリ自覚した途端、彼女と出会った当時を思い出し、ツイ、感情の赴くままに此のブログを投稿(6年前)した次第です~

私が3歳(昭和25年)の夏に初めて見た伊万里湾の塩浜海岸に位置す叔父の家に植えられていた【ハマボウの花】(現在・佐賀県絶滅危惧種指定)の美しさに感動した事に起因し、神社の【千木】(伊万里市山代町立岩字浦ノ崎の【佐代姫神社】の千木を観察す)の語元を解明(昭和62年=1987年春)しました。此の事を糸口として、日本語の元点【ヤマト言葉】のルーツ(1947年にクムラン洞窟から出土の死海文書に関連す)も解明しました!!

叔父が植えた三本のハマボウの花の木は、1897年=明治30年頃に叔父(二十歳頃)が牧島付近で塩製造を学び、独立し、浦ノ崎の追﨑北側の断崖絶壁的崖下浜辺に焼塩製造を始めた頃、牧島付近から持つて来て植樹したものである事を最近調べて知りました~

その後、川南造船所が進出し、塩浜海岸が埋め立てられ社宅が建てらせた事に因り塩製造は細々と成りました。それで、今度は叔父の家に近い「高尾の鼻」西下の「松永瓦製造所」で技術を学び、叔父は家の南側に工場を広げて瓦の製造を始めました~。然し県道拡張工事(後の国道204号線)と、追﨑に炭鉱の立坑が掘られ石炭積み出し工事と相まって、叔父の家は立ち退きを余儀なくされました。因みに現在、【川南造船所・事務所跡】の東海岸に咲く「ハマボウの花」は、叔父が植えた三本の花の種が流れ着いたものです~

佐賀県絶滅危惧種指定「ハマボウの花」
日本語(ヤマト言葉)の起元を解明しました!!


現在(令和5年=2023年9月15日)、その総纏めを行っています~
https://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12820590618.html


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Posted by 小島 宏 at 05:39 | Comments(0) | 日本建国史
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